フォルリ(Forl?)
人口約11万人のイタリア共和国エミリア=ロマーニャ州のコムーネの一つで、チェゼーナと並んでフォルリ=チェゼーナ県の県都の一つである。オルデラッフィ家の最も知られる人物は、1466年から1480年までフォルリのシニョーリであったピーノ3世オルデラッフィ(Pino III)である。ピーノは無慈悲な人物であった。自身が新たな市壁と建築物を建て市を富ませ、芸術の後援者であったにもかかわらずである。彼は40歳になったばかりで毒殺された。そのときからフォルリの立場は偶発的に起こるオルデラッフィ家の他者との戦いで弱体化していき、教皇シクストゥス4世が新たなシニョーリに実の甥ジローラモ・リアーリオ(en:Gerolamo Riario)をつけるまで続いた。リアーリオはカテリーナ・スフォルツァと結婚した。夫の死後、女領主として名をはせる女傑である。彼女はフォルリの独立時代最後を象徴する人物でもあった。1488年にヴィスコンティ家に、1499年にはチェーザレ・ボルジアによりフォルリは掌握された。チェーザレの死後、かつてないほど教皇に直接従属するようになった。